著者:源河亨 出版社:中央公論新社 出版年:2022年
他人には些細なことかもしれないが、私が重要だと思っていることがある。それは、自分が使うもの、選ぶもの、口にするものの価値を、できる限り自分自身で決めるという意識を持つことである。完璧にできているとは言えない。しかし、そう意識して生活することを私自身大切にしている。
きっかけは一冊の本だった。「美味しい」とは何かを哲学・美学の観点から問い直したその本を読んで以来、自分の日常的な判断がいかに他者の評価に依存しているかを強く意識するようになった。
たとえば、高い金額を払ったにもかかわらず、必ずしも美味しいとは思えない料理に出会った経験が一度はあるのではないだろうか。本来、「美味しい」という判断は自分の味覚によって決まるはずのものである。しかし実際には他者のレビューを参照し、その評価に自分の感覚を合わせようとしてしまうことも少なくない。店ではどこか腑に落ちない思いで料理を食べていても、帰宅後に食べログの高い評価を見ると「やはり美味しかったのだろう」と自分を納得させてしまうこともあるだろう。つまり我々は、自分の舌よりも他者の舌を信頼してしまうことがあるのである。
こうして考えると、「美味しい」という感覚は純粋な個人的判断というよりも、社会の中で形成される価値の一つなのではないかと思えてくる。自分自身で判断しているつもりでも、実際には他者の評価や集団の価値観によってその判断は容易に揺さぶられる。本書が面白いのは、普段ならば深く考えることもない「美味しい」という感覚を出発点として、そもそも我々は何を価値あるものとして捉えているのか、自分の判断は本当に自分自身のものなのかというところを考えさせられる点にある。
この構造は食べ物に限らない。少し前に流行した「ラブブ」のような商品でも同様の現象がみられるだろう。自分では欲しいと思っていなかったものでも、多くの人が欲しがっていると価値のあるもののように感じられてくる。さらに誰かが「それなら私が買ってもいい?」などと言ってしまえば、他者の需要を自分の需要へと置き換え、価値のあるものを逃してはいけないという心理が働くこともある。
とあるテレビCM広告にも、この心理を突いた場面があった。金太郎の格好を一年間し続けることで大金が手に入るという仕事のオファーを、お笑い芸人の男性は即座に断る。ところが相方が「じゃあ、俺がやっていい?」と聞いた途端、彼は急に不安になり、結局自分がその仕事を引き受けてしまう。欲しくなかったはずのものが、「奪われるかもしれない」という情報ひとつで、突然価値を帯びるのだ。笑えることだが、他人事ではない。
このように、本書が扱っている「美味しい」という感覚を考えていくと、それは単なる味覚の問題ではなく、我々が日々何かを選び、何かに価値を見出すという行為そのものにつながっていく。流行に合わせて行動すること自体は、日常生活では大きな問題ではない。しかし、気づかぬうちに他者の価値観で自分の選択が塗り替えられているとしたら、それは少し怖いことでもある。
だからこそ私は、自分が「美味しい」と思った瞬間、「欲しい」と感じた瞬間を、意識的に大切にしようとしている。本書は、身近すぎるがゆえに見過ごしていた「美味しい」という感覚をあらためて問い直すことで、我々が普段どのように価値を判断し、何を自分のものとして選んでいるのかを考えさせてくれる。他人には些細に見えるかもしれない。しかしそれが、自分の感覚を自分のものとして守る、ひとつの方法なのだと思う。










